半沢直樹的研究者

8月頭の梅雨明けから今週まで、数年ぶりに経験する東京の真夏に完全にやられておりました。なので、仕事もほどほどに引きこもってドラマやアニメを観たり本を読んだりとのんびり過ごしていました。


今期のドラマでは半沢直樹とMIU404が順当に面白いです。MIU404の方は野木亜紀子脚本で、かつキャスト(星野源と綾野剛のバディ)といいテーマ設定(刑事)といい、失敗する余地があまりないドラマです。実際、その期待を裏切らないソツのない完成度で面白かったです。ただもっと面白いのは半沢直樹で、「スーツ歌舞伎」とネタにされていることに完全に悪ノリしていて、もはやコント。脚本も予定調和だらけでずっと似たような展開が続くのですが、なぜか観てしまいます。



ところで半沢直樹を観ていると誰しも感じるのが、なぜこの人たちはこんな超絶ブラック企業をさっさと辞めないのか、ということ。なぜここまで一つの会社に固執するのか。世の中にもっと働きやすい組織はいくらでもあるのに。全身全霊をかけて会社にコミットする様子は、いかにも旧来の日本型サラリーマン的特性のように感じます。ベンチャーや研究者、その他専門職につく人達とは少し違う特性のような。



ただ、個人的にはそれは違うと思います。

自分はまさにこの半沢直樹に出てくるような超旧来型銀行に数年間勤めて、今は研究者をやりつつ、広告やWeb企業やAIベンチャーと仕事をしています。有象無象がいるITベンチャー企業で仕事をしたこともありますし、大学病院にも勤めました。そこで色んな人を見てきた経験的からは、半沢直樹的な特性を持つ人たちはどこにでもいて、それは組織と関係ないということ。

本当に重要なのは、「レールから外れてきたかどうか」。これはその人の特性を決めるかなり主要な要素だと考えています。こういう単純化自体が、そもそも半沢直樹的行為かもしれません。それでも、個人の優秀さとは独立に存在する重要な要素に思います。

また別の言い方をすると、常に興味のある機会を見つけては飛び込んで、を繰り返してきた人かどうか。「外れてきた」「繰り返してきた」というのがポイントです。そしてその対極にいるのが、常にレールの先をまっすぐ見つめて突き進む人。大企業社員もベンチャー社員も研究者も専門職も、レールを突き進む人は皆少なからず、半沢直樹的な直線的思考様式を兼ね備えているように見えます。




僕のポジションでこう書くと、いかにもアウトロー気取りが自分と対極にいる人間を槍玉に溜飲を下げることを目的とした、よくある文章に見えます。が、自分の意図はそこにありません。

いきなり話が飛びますが、前にも書いたように自分は将棋の棋士のストーリーが好きで、藤井聡太二冠も好きです。そして自分が好きな将棋棋士像の典型は、まさにレールを突き進んでいる人です。

なぜいきなり藤井聡太の話になったのか。

それは、レールから外れる人間がいるためには、藤井聡太が必要だからです。藤井聡太がいるからレールが照らされ、彼に挑み破れていく人間達のストーリーに彩が出てくる。つまり、光で照らされた道を突き進む人間がいるからこそ、その周囲の存在が輝くと思うのです。




また話が飛んで、NAISTの話になります。

今はもう亡きNAIST松本研には、レールから外れて飛び込んできた人が沢山いました。大学を中退してきた人、全然関係ない企業を辞めて飛び込んできた人、その他謎の経歴の人。そういう人たちがまとっている空気感、そういう人たちが集まって構成される空気感が、自分は好きでした。

もちろん癖が強い人が多いですし、人間として好きなのと仲良くなれるかどうかは全く別で、むしろ反発し合っていることの方が多かったように思います。また、NAIST入学時にはヘンテコな経歴でも、その後は落ち着いている人もたくさんいます。けれども確かに、あの時のあの空間は、表社会の脱線先として機能していていたように思います。そしてそれは表社会があるからこそ成立していました。



もちろんレールから外れることには多くの影もあります。脱線した先が落とし穴だったり、飛び込んだ先が炎上していたり。アウトローの人生にはそうした悲喜こもごもがあるのです。

そしてこのエントリ自体が認知的不協和の産物であり、生存バイアスであり、ある種の型にはまったアウトローしか見ていない、そういう類のものです。

それでも自分は、舗装された道を進めずに、その周辺の荒地を転がり駆け回る人間の物語に興味を持ちます。

次々とレールを変え七転八倒する、その悲喜こもごもに惹かれます。

いつも、あの空気に満ちている場所を探している気がします。

そこに、人生を感じます。




部屋で麦茶を片手に、モニターの中で変顔を繰り出す熱い男達を観ていて、そんなことを考えました。