シン・エヴァとケン・リュウとチョコレートグラミー

「自分が死んでもいいから作品を上げたいっていうのはこれはある」
「命削ってでも頑張りますって言っちゃったんで。作品ってそういうもんでしょって思いますけどね」
「誰かに影響を与えたり永遠に残るものを作るんだから終わったところで死んでもいいぐらいの覚悟と勢いと仕事の密度で取り組んでいたんです」

四月にようやく一大仕事を終えたのでシン・エヴァを鑑賞してきました。緊急事態宣言が出る直前かつたまたま製作陣の舞台挨拶と重なるというラッキー。エヴァをリアルタイムで観ておらずたいした思い入れもなかったからか、頭を空っぽにしてロボットアニメとして楽しめました。最後の方は若干私小説を観ている気分になりましたが、これで最後らしいしまあいいかという気分で鑑賞。

むしろ映画よりも楽しめたのはその後に観たプロフェッショナルの庵野スペシャル。拡大版もやりましたね。

冒頭の言葉はそこからの引用です。ジブリ(宮崎駿)のドキュメンタリーでもこういう雰囲気の台詞あったような気がすると思うんですけど、こういう気持ちでいられるのっていいなあと思います。

そもそも仕事を含む全ての営みは、比喩ではなく文字通りの意味で自身の寿命を使って、命を削ってするものです。つまり本当に重要な問題は、本人がそう思えているか否か。できるならばそう思えることをしていたいですよね。


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紙の動物園 (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

紙の動物園 (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

映画を観てから近所の喫茶店でケン・リュウの「紙の動物園」を読みました。確かだいぶ前にRebuildでおすすめされていた作品。いくつも著名なSFの賞を受賞しているらしい表題作が一番最初にきている短編集なのですが、SFという単語がどうも疲れそうで積んでいました。それがシン・エヴァを見て耐性がついたのかわかりませんが急に読む気に。

表題作は少し不思議な風味の設定をアメリカの現代的なテーマと絡める綺麗なお話。ものすごくよかったしもっと早く読んでいればよかった。他の収録作も特にIFものは面白く、いまアメリカでこういう話が高く評価されるのはかなりわかる感じがします。SFというカテゴリで間口を狭めているのがもったいない。

逆にあまり刺さらなかったのは不死や長寿、意識転送もの。各短編にメインテーマとなるSF的ギミックがあるのですが、この類のテーマ設定はどれも最終的には実存的な問いかけに帰着している気がします。それは別にいいのですが、身体あるいは時間の制約から思考が解放されたときに生じる実存的な問いが、別にそこから解き放たれていない、つまり今の人間の問いと本質的に違わない気がするんですよね。

というかむしろ現代は技術的にも思想的にもどんどん寿命や身体を意識せずに生活するようになってきていて、だからこそ冒頭のような言葉に何かを感じるのではとも思います。終わらない日常の終わりを意識するのは終わらせてもいいと思えるぐらいのものをやって初めて意識されるものであり、ほとんどの場合はそんなもの意識にすらのぼらない。


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最後に本屋大賞。

見事に予想を外したというかそもそも大賞作も含めて候補作をほとんど読めていないのですが、とりあえず大賞受賞者のデビュー作を読んでみました。貧困、シングルマザー、LGBT、DV、という問題が散らばった連作短編で、「紙の動物園」で扱われた移民や人種といったまさにアメリカ的テーマと比較するとどこか今の日本を感じるテーマ。

読んでみると山本文緒の作品を読んだ時と似たような読後感に。キラキラしていなくとも、未来への特別な期待がなくとも、今を踏ん張って生きているような人を描いているあたりが似てる?

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実際どこで、だれと、なにをしているかなんてほんとうにどうでもいいことなんですよね。

明日死んでも不死身になっても、やりたいことはこれだけだった。

心からそう思えるかどうか。

もちろんそんな場面がいつもあるのはフィクションだけで、現実では意識できないぐらいの一瞬ですが、その一瞬をすくうために日々働いているのかも。